April 09, 2004

ゲームは「感覚のメディア」である

[ Category : Game design ]

ゲームは映像メディアだと世間一般的には言われています。しかし、私はゲームを映像メディアの一種と捉えることに違和感を感じてきました。

何故違和感を感じるかといえば、「ゲームが映像メディアである」という視点は傍から見た意見に感じられてならないからです。実際にプレイしてみてゲームとメディアとして捕らえたときに、果して本当にこの考えが出てくるのか。プレイヤーはグラフィックとサウンドだけを享受しているのか。どうもプレイヤー以外の視点に感じられます。

私は「ゲームは感覚のメディアである」だと考えています。たとえば次のようなゲームを考えてみてください。

  • グラフィックが一切無い
  • サウンドも一切無い
  • コンシューマーソフト

もしゲームが映像メディアであるというならば、これでは一切映像を伝えられないのですから、メディアとしては失格です。けれども、この状態においても実はゲームは成立します

現在のコンシューマーハードにはコントローラーに振動機能が付いています。これはグラフィックやサウンド以外の出力です。振動は出力としてはまだ低機能で、表現力も低く、グラフィックやサウンドにかなうべくもありませんが、ちゃんとゲームにインタラクションを持たせることが出来ます。売れるか、とか、面白いか、とかはともかくゲームは(理論的には)成立します。

映像メディアとして失格であるにも関わらず、ゲームとして成立するこの状況があるという事は、実はゲームは映像メディアではない、と言えます。考えてみてください、グラフィックやサウンドと言うのは単に出力の一つに過ぎません。たまたまそれらの表現力が高く、プレイヤーが認識しやすいからというだけのことなのです。前述の振動もそうですが、五感に訴えかけるものならゲームの出力は別に何だって構わないのです。

では何故「感覚のメディア」と言えるのか。

ゲームを少しでもプレイしたことがある人なら、「ただ操作しているだけで楽しい」という状況に出会ったことがあるでしょう。このゲームプレイの楽しさはどこから来るのか、という問いに従来は「インタラクション」の一言で片付けられてきた感があります。ここを一言で片付けず、さらに突き詰めてゆくと、操作に対するフィードバックがあり、それが楽しい原因であることが分かります。

このフィードバックは言い換えると「感覚」と言えます。ゲームにおける楽しさには色々なものがあります(注1)が、特に重要なのがこの「プレイ感覚の楽しさ」です。なぜならゲームプレイはゲームの基本であり、もっともプレイヤーが多く時間を費やす行為であるからです。ゲームはこのプレイ感覚の楽しさをプレイヤーに与えているわけです。つまり「感覚のメディア」なのです。

注1:ゲームにおける楽しさに「目標を達成させる楽しさ」というものがあります。これも大変大きなウェイトを占めており、私はこれら2つがゲームにおける楽しさの主要素だと考えています。また、この「目標を達成させる楽しさ」を追求してゆくと、ゲーミング(ギャンブル・駆け引き)になるとも考えています。反対に「プレイ感覚の楽しさ」を追求してゆくと、巷でインタラクティブ・コンテンツと呼ばれているものになるとも考えています。コンピューターゲームはこれら2つの楽しさがちょうど拮抗するくらいで成立するエンタテイメントである、と言うのが私の考えです。これに関しては機会があれば詳しく記したいと思います。

宮本茂氏の触れる映像」論は有名ですが、私は氏がこの言葉で「触れる」と言う点にウエイトを置いているのでは、と推測しています。たとえばスーパーマリオはあのジャンプの「トゥィーン」という感覚の楽しさを伝えたかったのではないかと勝手に推測しています。氏はマリオのジャンプの計算を最初は計算式で調節していたのが結局気に入らず、最終的には加速度のテーブルに数値を直接打ち込んであのジャンプ・アクションを完成させたそうです。

私は、ゲームは感覚のメディアである、という考えに基づいてゲームデザインについて考えていこうと考えています。OBOでは十分にはできなかったので、一体どのようなプレイ感覚の楽しさをプレイヤーに伝えるか、という「感覚デザイン」からゲームデザインをしたFlashコンテンツを現在制作中です。

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